創価学会関係

現証


■創価学会入らぬなら昇給差別
―朝礼で『聖教新聞』読み合わせ―
 「創価学会に入信しなければ昇給で差別」「サービス残業で『聖教新聞』をつかって『座談会』」。そんな経営をすすめた会社が、6月に不渡りを出し倒産しました。社員約40人を何の前触れもなく解雇したこの会社は、現在、労働組合が求めている6月分の給与支払いなどを拒否し続けています。
 問題の会社は「太洋開発」(東京都中央区、足立一英社長)。オフィスや店舗の内装工事、施工管理などを行っていました。
新入社員用テキスト
▲「太洋開発」が新入社員教育などにつかったテキストの一部(『しんぶん赤旗』H19.8.23)=新入社員研修は4回。しかしそこで行われるのは技術や経理の研修などではありません。社長自らが『聖教新聞』の切り抜きなどをテキストに「人間主義経済革命5大要素」「妙法の山分け」などという世界観を中心に講義。「資本主義に変わる新しい秩序」のために、「公明党支持の組織の構築」「創価学会支援組織の構築」が必要などとしています。


■椎名法昭・野崎勲の死
―偽造写真事件を惹起―
椎名法昭
▲椎名法昭(『慧妙』H16.4.16)=「偽造写真事件」の発端を作ったのは、脱落僧・椎名法昭である。すなわち、椎名法昭は、自らの撮影した宴席写真を利用し、学会と共謀して偽造写真を作成、これを使って日顕上人を誹謗中傷したのである。これだけの悪業を行なった椎名が、ただで済むはずがない。東京高裁が偽造写真事件に不当判決を下してから3年後の平成15年12月、急死した。死因は肺ガン。まだ51歳という若さでの死であった。

野崎勲
▲野崎勲(『慧妙』H16.4.16)=このどす黒い謀略の指揮を執(と)った最高責任者が野崎勲であった。これだけの悪業を行なった野崎が、ただで済むはずがない。最高裁が、東京高裁の不当判決を支持する決定を下し、学会側が狂喜している最中の本年3月、今度は野崎が61歳の若さで急死したのである。


■参院議員・沢たまきの死
―墓地訴訟の広告塔演じた―
沢たまき
▲沢たまき(『慧妙』H16.4.16)=平成5年6月3日、沢たまき等は、大石寺墓地のごく一部に、たまたま許可漏(も)れのまま造成された部分があったことを奇貨として、損害賠償を求めて訴えを起こした。この訴訟は、学会が各地の正宗寺院を相手取って起こしていた、都合81件に及ぶ墓埋法関連の告訴・告発の中でも象徴的事件として、学会側の悪宣伝に全面的に利用された。その論功行賞でもあるまいが、沢は平成8年10月に行なわれた衆院選に立候補。それから7年目の平成15年8月9日、沢は、参院議員宿舎で入浴中に急死したのである。享年66歳。死因は虚血性心不全と発表された。


■脱落僧・大橋正淳
―「C作戦」「相承疑惑」―
大橋正淳
▲大橋正淳(『慧妙』H16.4.16)=「C作戦」だの、「相承疑惑」だのと、学会の日顕上人誹謗に信憑(しんぴょう)性を持たせるのに最大限貢献した、脱落僧の中心的存在だった大橋正淳も、平成15年3月2日、肺梗塞のため65歳で死亡している。


■副会長・西口浩
西口浩
▲西口浩(『慧妙』H16.4.16)=創価学会の広報室長として、激しく敵対者を罵(ののし)り攻撃してきた副会長の西口浩も、舌ガンになり、最期は下顎(あご)まで切除して、平成13年5月21日、53歳の若さで死亡。


■多田時子
多田時子
▲多田時子(『慧妙』H16.4.16)=池田大作との関係が噂された、元衆議院議員で総合婦人部長などを歴任した多田時子も、膵臓(すいぞう)ガンのために平成12年12月2日、悶絶の死相で亡くなった。


■脱落僧・岡崎雄直の死
―合葬納骨事件の端緒―
岡崎雄直
▲岡崎雄直(『慧妙』H16.4.16)=平成5年から6年にかけて、創価学会は"米袋に詰められた合葬骨"なる写真を『創価新報』等に掲載し、"遺骨が粗末に扱われている""不法投棄だ"などと大騒ぎを開始。以来、この写真は事件のトレードマークのように、センセーショナルな見出しを付け、幾度も使い回されたのである。それから3年後の平成9年3月4日、37歳という若さで死んだ脱落僧がいる。その名は岡崎雄直。何を隠そう、この岡崎こそ、"不法投棄"騒ぎの元凶ともいえる"米袋に詰められた合葬骨の写真"なるものを、創価学会に提供して報道させた張本人であった。ちなみに岡崎の死因は心不全だという。


■ヒロエ・クロウの死
―シアトル報道の張本人―
ヒロエ・クロウ
▲ヒロエ・クロウ(『慧妙』H16.4.16)=「シアトル事件」報道は、ヒロエ・クロウが、平成4年6月、『創価新報』等に証言(?)したことからスタートした。日蓮正宗側は平成5年12月、創価学会などを提訴。その裁判の過程においてヒロエ・クロウは、いまだ証言の終了していない平成7年3月24日(現地時間3月23日)、64歳という、まだまだこれからの年齢で急死してしまった。死因は肺ガンで、事件発生から3年目の年の死であった。